恋人の恋人は恋人

どうしようもないことが続いてるときはどうしようもないことというのが続くもので、その結果として母の予知夢にうなされる。さて着床は先回りして防いだ。身体が熱をため込んで、明日吐くかも知れないというのはその通りだ。申し訳ないが緊急避妊。誰に対して?誰に対して、でも。申し訳ないが君らには教えてあげないよという意地悪を腹で飼っているので気は確か、確かです。
唐突であるが動揺している。そして、これはオナニーではないかという杞憂。なぜ書き始めたかもわからないままわからないので書き吐いている。だって、これは元恋人の元恋人と、元恋人に対するレスポンス。
「元気ですか?私は幸福です」
という電子メールを2ヶ月前に友人から受け取って、「幸福」という外来語は口語では決してない、と思ったのをふまえた上で、
「元気ですか?そちらはあったかですか?わたしは幸せです。こちらはまだ寒いです」
そういって気を引きたい。言葉の裏になんか潜みきれない、暗号というか共通語を持って、心配されたい。心配してくれ。心配と同情だけを食って生きていたんだあのころの話だ。私が意地悪な矜持によって、引きずる思春期を愛でていたあれ、あの日。
もう10年近く前は中学生で、文字通り傷をひけらかすことが特別の証であったと言う種明かしをするのはマゾヒスティックな気持ちからで決して本心からではない。10年前の中学生は、高校生になっても中学生でそれに気付かず特別を得る方法をエスカレートさせていった子は全国で何万人いたことか。内攻こそが「自己実現」。ああ、それは、あんなにも嫌っていた日本人的な心理と表裏一体だとも知らずにさ、知らずにね。ところで日本人的な我慢が賞賛される思想を未だに芳しくは思っていないどころか悪意と殺意でいっぱいなのだけれども、ではナニ人なら良いか?と問われかねないので先手を。日本人だよバカ。
話はそれた。
既にパッケージングされてしまった時間というか空間というか、そういったジオラマを、元恋人と二人で眺めて配置を換えることもなく、ただ眺めて眺めてその延長線上を見つめながら見ないふりをするという高度且つ単純な遊びをしてしまったので動揺している。
あたしはあれを、忘れてもいいが「アノアタシ」を忘れてはいけない。あれを忘れる忘れないは関係ないの関係ないでしょ関係ない!!!ただ、堅実な不適合者といることによってお姉さんぶって、健全な・わかりやすい・アタシの知らないアタシになってはイケナイのだからアノアタシを忘れてはイケナイそれは誰の為でもなく誰かの為でもありその誰かの一人がアタシだから。
正直に言うと、惜しいだけ。
そうして、それを見せたのが、あなたじゃなくても良かったなんて、みたくないだけ。言ったでしょう?恋だの愛だのは他の人とも出来るけれど、この遊びは君としかできないと。言ったよ。なんどだって。いつまでだって子どもみたいに笑い転げるのは君としかできないしこれは未練ではないので、ほうっておいてちょうだい。