20世紀末で足踏み

崩れる音に耳を立てるなんて前時代的でなんて素敵!
あたしは「せめて!」と思い立ち、ショートケーキを八つ裂きにした。
これ!この空気感☆ この実態しかない空洞こそが、千九百九十年代の最期の象徴であった。集大成なんかじゃない。「結果」という概念すら吹き飛ばす強大な空洞。ちがう。あれは、「無」であった。無力で無秩序で、無限。そういった時期だったのだ。
それは思春期をこじらせるのにはあまりにもうってつけだった。付け焼き刃こそが武器になる、その時代にハイティーンだったのだもの。借り物の世紀末。無意識のダダイズム。眩暈こそすれ。
一九九九年、古い外国人の詩に翻弄された世界はその恐怖をきっかけに自らの手で破滅することすら出来ず、緊張はとぎれて、残念ながら退屈してしまった。賞味期限がきれた牛乳が突然発酵しないのと同じ理由で、ゆるやかに世界中が退屈にならされていった。そうとも知らないぐらいゆるやかに。手始めに人々は、精神分裂病をないがしろにしながら気分障害の「鬱」の部分にだけスポットライトをあてて、「鬱は心の風邪ですよ、誰にでもあることです恐れることはありません。いいですか?誰にでもおこりえる状態なのですよ。ですが、風邪だって侮ってはイケマセン。万病の元です。心当たりのある人は一人で悩まず受診しましょう。精神科に抵抗がありますか?内科なら平気ですか?いいんですいいんです。内面を診療する、内科! 上等じゃないですか。周りの人も気付いたら病院へ引っ張ってくるように!」などと、ささやき声で浸透させていった。ストレスの多い現代社会、傷ついて当たり前!そんなのちっとも怖くない!傷ついたならみんなで保護してあげましょう、と、一から十までの万人が納得するようなやり口で。だから抜け駆けなんて許さない、そんなの逃げだよ、弱虫…という言葉を含有しながら。反吐を出すべきだったのに。あの偽善。そのポーズのおかげで癒しの裏の痛みが 制 限 付 き で 許された。許されていたでしょ?あのころ。
ところで先ほど八つ裂きにしたショートケーキは廃人によって舐め尽くされた。廃人を愛しい。廃人は黙って座ったその目でくうを見つめ口の端だけで笑うと彼の場所―部屋の中央、ベッドの脇―で再び膝を抱え泣き出した。あたしは彼の髪の毛をひっつかみ無理に顔を上げさせ目の前で目の玉をくりぬいて見せた。自分でも信じられない声をあげながら。
「癒し系」という言葉が流行ったのはつまりは癒されたいからではない。当時から総理大臣すら「痛みを伴う構造改革」なんて言うほど、「痛み」に対して実感があった。卑屈な逃げ道としてちゃんと用意されていて、「痛み」を逃げ道にすることを、他者から否定されるのではないか、と牽制し合って井川遥に逃げたのだ。「痛み、ヤデスヨネ?こんなストレス信じられませんよね。死ンジャイタイデスヨネ?そう、ですよね?」そこで、唇が厚く、涙目で、オッパイの大きい井川遥。最大公約数の象徴。美しい張りぼて。めでたい。
痛みの甘さを覚えた日本人。日本人はオイシイ話には裏があると考えているモノだから、オイシイ思いをしている奴らを叩くと同時に、「痛み」という卑屈の逃げ道にすら卑屈にならざるを得ない。日本人は「精神的に」「弱い」って言われるのがだーいっきらいっ☆ ね? 従順で勤勉な彼らは他人が皮膚の下の肉をむきだしにしているのをみてそこに唾を吐きかけるようになる。サァ、皆サン、足並ミ揃エテ平凡第一!てな具合でさぁ。
だけど手遅れ。あたしは一九九九年に一六歳で、何にも知らないのに見せつけられた。あの甘い毒を教え込まれた。椎名林檎大塚英志堤幸彦蜷川実花に。あのヴィヴィッドな空洞を知って、退屈になれていく世界に立ちつくして平気な顔なんかしていられると? ねぇっ! 聞いてる?
そういって再び髪をひっつかみ、廃人の涎を掬い取ると彼の頬は殺人鬼みたいに赤黒く染まった。
力なく笑って。それでも愛してるっていって。あなたがここにいるのはあたしがいなきゃ死んじゃうからね? 死ぬよりあたしを選んでくれたのね? あなたの救いよりもあたしを選ぶ衝動が早かったのね? 死なんて救いじゃないのに、それを救いと信じている空洞のお前は、あたしの眼窩を見つめては、外陰部を充血させる。