ラブ/クローン

少しばかりの室温の上昇をも、ユリは嫌うのだった。だから僕らはいつだって冷静でいることを強いられるのだった。激怒も昂揚も昂奮も。室温を上昇させるとしてユリはそれを嫌うのだった。ここは恋愛病サナトリウムとは違うのだよ、ユリ。いつだったかそう言って聞かせたことがあったが、ユリは澄ました顔を横に振るばかりだった。
窓の、外に、橙が、溶ける。

彼はいつしか物書きだった。あたしの帰宅する時間がだんだんに遅くなるのに気付かぬほどに物書きだった。ああ、もっとずっと昔にあたしが彼の病気に気付いてさえいれば!後悔したってあとの祭り。彼は否が応にも物書きだった。生計なんか立てられやしない。彼の書いた文章は、息も絶え絶え、本質よりもそちらばかりが気になるためにあたしなんかは読み終わるまでに恐らく人の十倍もの時間を要するのだった。過呼吸気味にしゃっくりをしながら(そうはいってもなきじゃっくり)、読むのをやめることが出来ないのだった。彼が紙面で笑い飛ばせば飛ばすほど、あたしの方は呼吸が苦しくなっていくのだった。

朝からユリは浮き足立って、鏡に躰を映しては上機嫌でくるりとその場で回ったりしていた。やがて昼過ぎに退屈そうに僕の足に絡まり、ベルトに手をかけたりペニスを口に含んだりしていたが、それにも飽きて一等お気に入りのワンピースを身につけたままどこかへふらりと出かけてしまった。朝のうちに一度だけ、その上気した頬を皮肉まじりに咎めてみたが、ふくれ面をこちらへ向けることもなく若干の温度の上昇を僕に詫びるだけなのだった。だからユリ、僕は別に室温の上昇を本気で咎めたりはしないのだよ。君の訪問が遅くなるのを、頭から追いやることで精一杯なのに。思ったが口には出さなかった。何だかどうでもいいことのように思われたからだ。

その後のこと?お話は終わったの!
自分のことしか愛せないからつくったはずのクローンだというのに、外界に別個として存在していると言うだけで―つまり目に見えるというだけで他者であるように錯覚してしまうのだった。他者であると錯覚した結果として失望と嫉妬に負けてしまうのだった。今では違う物を食べている。ああ、だって、愛しているのに室温の上昇を許せないだなんて嘘じゃない!泣き喚いたところで、外的要因によりあたし達は他者なのであった。実験は失敗なのだった。傷を舐め合えばやがて癒えると知りながら、唾液さえ失望。

ただ一つ、最後に残った能力は、他者の求めるものを瞬時に察知出来るこの力。
そうだったらどんなに良かったか。